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日タイロングステイ交流協会

【会員の広場】「タイ国内旅行の魅力に引かれて」

2022年04月20日(水)

日タイロングステイ交流協会 会友
斎藤 宏

 私はタイ国に仕事目的のため通算16年間在住しました。
 私が初めてタイに行ったのは今から45年前で、日本企業の現地合弁会社で冷蔵庫、クーラーの製造責任者として赴任しました。タイ出向の話があった時には「タイの国がどこにあるのか、どんな言葉を話しているのか、どのような気候なのか、どのような食べ物があるのか」など皆目分からず不安がいっぱいでしたが、着任してみると仕事としてはカバーする範囲が広がりましたが日本で担当していた時と同じような製品を扱うことでしたし、言葉については優秀な通訳者がついてくれまたスタッフもベテランが多く非常に協力的でしたので、安心して仕事に打ち込むことができました。

 ただ家族帯同で赴任しましたのでプライベートの面では制約され、私の大好きな旅行はほとんど出来ませんでした。
 そのため日本で定年の後もう一度タイに戻って、思う存分タイ国内の旅行をしたいという思いが強くなりました。
 そして2回目の訪タイは日本の企業で定年後の2002年で、今度の就職先は純粋のタイ現地会社で小型ボイラの製造・販売を主として行っていました。私はボイラ全般の担当となりましたが初めて接する製品でしたので、ボイラとは一体どんなものなのかから始まりその機能・構造・製造技術・据え付け要領などについて、一から勉強を始めました。

  一方現場では毎日ボイラの生産・客先での据え付け・サービスそして販売業務などが行われているのでその実務もOJTで習得しなければならず、さらに現場で必要なタイ語(特にボイラ関連の専門用語)の勉強などがあり、大変繁忙を極めた毎日の連続でした。仕事をスタートしてから2年くらい経ってようやく仕事にも慣れ余裕ができてきたので、2005年ころから私の大好きなタイ国内の旅行を本格的に始めました。

 当然仕事で成果を上げることが第一目標でしたが、それと同じくらいのウエイトを置いてタイの国内旅行を楽しみたいと思い、今回は家族の了承をもらって単身で来たので休日での行動には何の制約も受けずに旅行ができました。
 タイ国内には行きたいところが沢山ありますが、仕事優先でタイに来ているので旅行に行く場合仕事には影響のないよう自分なりの「旅の行動指標(下記の8項目)」を予め設定し、これに沿って旅行を計画し実践してきました。

  1. 会社の休み(基本的には隔週の土曜日と日曜日、祝祭日)を使って旅行をする。遠方に行く場合時間を稼ぐため金曜日の夜行列車で行き、帰りは月曜日の早朝バンコク着の夜行列車で帰って来て、そのまま会社に直行する。その日は疲れていても絶対休みは取らない。
  2. 利用する交通機関は基本的には公共交通機関(国鉄、私鉄、バス、ソンテオ、サムロー、バイクタクシーなど)とする。会社で仕事用として私の使える乗用車がありますが、個人レベルの旅行には絶対使用しない。
  3. 交通機関、宿泊場所などの事前予約は基本的には取らない。(現地で臨機応変に対応する。)ただし遠方に行く場合国鉄の夜行列車または夜行バスなどについては、時間の制約上予約を取る場合がある。
  4. 宿泊の場合は原則500バーツ(約1,500円)以下とする。(費用の削減と一般タイ人とのふれあいを大事にしたい。)
  5. 旅行中はできるだけ多くのタイ人と話をすること。(タイ人の考え方や日常の生活様態などを知るため)
  6. 旅行は極力一人で行くこと。(不測の予定変更に対しても、柔軟に対応できる。)
  7. タイ国全77県全部を回ることを目標とする。(宿泊、立ち寄り、通過でも可とする。) 次回訪問予定地は予め検討し、出来るだけ全県をカバーできるよう配慮する。
  8. 旅行帰着後原則として1週間以内に旅行記(定期便:バンコク便り)を書き上げ、必要先に送付すること。

 初めのうちは仕事と旅行の両立で体力的負荷が大きく厳しかったのですが、慣れてくると次はどこに行こうかとかルートはどうしようかなどと考えるとむしろそれが楽しみとなり、心の励みとなって続けることができました。
 旅行は北はチェンラーイ県から南はソンクラー県まで74県に及びましたが、残念ながらマレーシア近くの南タイ3県(ヤラー、パッタニー、ナラティワート)は治安状況が極度に悪いため安全を考慮して行くのをやめました。(その当時日本大使館からも海外渡航安全情報として日本人に対してこの3県の訪問を控えるよう警告が出ていました。)
 このような行動指標のもとタイ各地を旅行して回りましたが、その都度発行してきた旅行記も100号にまで達しましたので、今回はその中で記憶に残る思い出深い場所を2〜3ヵ所ピックアップしてご紹介してみます。

(1) アルヒル桟道橋 (所在地 : カンチャナブリ―県サイヨーク地区 バンコクから約170km)

 「アルヒル桟道橋」は第二次世界大戦のとき日本軍がタイからビルマ(今のミャンマー)まで鉄道を引いたのですが、その時架設されたもので工事最大の難所であるクワイ川の渓谷から急にそそり立つ岩壁にへばりつくように建設された橋です。ただその当時の橋は木造でしたが、今の橋はその後改修され鉄+コンクリートで補強されています。
 「アルヒル桟道橋」への行き方としては、バンコクのトンブリー地区にある国鉄トンブリー駅からナムトク行きの列車に乗り、カンチャナブリー経由でタムクラッセー駅で下車します。
 この桟道橋はタムクラッセー駅の直前にあるので列車に乗って行くとそこを通過するのですが、列車は超のろのろで走りますが強度が弱いため列車が通るとギシギシ・ミシミシときしみ音がして、今にも橋が崩れるのではないかと恐怖感を覚えます。
 タムクラッセーの駅前にはお土産屋やコーヒー ショップが所狭しと軒を連ね、いつも多くの外国人観光客でにぎわっています。
 「アルヒル桟道橋」へはそこから線路の間に敷いてある細い木の板の上を歩いておよそ15分で行けます。たくさんの観光客がその絶景を見るため歩って行きますが、列車が来ると大変です。
 ところどころに人のための退避スポットがありますので我先にと逃げ込みます。列車も安全のため超ノロノロ運転ですが、待避所のすぐ目の前を通過するので怖いながらもものすごく迫力があり感動しました。
 列車は1日に往復で6本しかないので、この桟道橋と列車とをコラボで写真に撮ろうとすると、タイミング的になかなか難しいです。
 下の写真は現地を訪れた時、たまたま幸運にも列車が来たので素晴らしいコラボ写真が撮れました。日本ではこんな危険なところを走る列車は見たことがありません。

絶壁にへばりついて走る列車

(2)王族の名前の付いたダム巡り

 旅行をしていたある時、急に一般の日本人観光客が訪れないようなところに行ってみたいと思い、考えたすえタイ王族の名前の付いたダムに行ってみようと思い立ち、計画し実行してきました。
 タイ国内にはダムが沢山ありますが、大きなダムにはタイ王族の名前が付いていてその数は7ヵ所(プーミポン ダム、シリキット ダム、ワチラロンコン ダム、ウボンラット ダム、シリントーン ダム、チュラポーン ダム、シーナカリン ダム)があります。ダムですので当然のことながら、一般的にバンコクから遠く離れた深い山間にあります。
 そのためバンコクから行く場合、まずダムがどこにあるのかそしてどのような方法でダムまでたどり着けるのかが一番の問題でした。一般的にはバンコクから列車または長距離バスで最寄りの近くの場所まで行き、そこから先の交通機関は事前に調べようがないので行きあたりばったりで現地の人に尋ねながら行くことしかできませんでした。
 結果としては時間をかけて無事全7ヵ所のダムにたどり着くことができましたが、その中で深く思い出に残るいくつかのダムに行ったときの様子をご紹介します。

(2-1)シリキット ダム(プミポン前国王のお妃のお名前) (所在地 : ウタラディット県 バンコクから約500km)

 まずはバンコク中央駅から国鉄北線で金曜日の夜行急行寝台列車に乗ってウタラディット駅まで移動です。
 ウタラディット駅には早朝6時に到着しすぐその足でバスセンターに駆けつけ、切符の販売窓口で係員にダムに行く方法を確認したところ直接ダムに行くバスがあるとのことで一安心、第一関門は通過です。
 バスに乗り1時間半ほどでシリキット ダムのバス停に到着しましたが、そこで問題が発生しました。それはバス停からダムの堰堤まで6km以上もあってその間にはバスやバイクタクシーなど一切ないことが分かりました。
 ここで引き返すわけにはいきません、どうしても行きたかったので炎天下の中を歩き始めましたが、ものの2kmも行くとバテて木陰で休息です。すると運の良いことにダムの関係車両が通りかかり、声をかけてくれました。
 これからダムに行くので乗せて行ってあげるとのことで、ありがたく乗せてもらいました。
 クーラーの利いた自動車で約10分快適にダムの堰堤までたどり着けましたが、またまた問題発生です。
 堰堤の下の警備員小屋から堰堤の上まで急な坂道を100m以上上って行かなければならず、あっー! もうこれまでかと思っていたら、警備員の方(チャムノンさん)が私の様子を見かねてご親切に「私のオートバイを貸してあげるよ」と言ってくれました。天にも昇る気持ちでこれまたありがたくお借りし、無事堰堤を上り切りシリキット ダムの雄大な眺めを堪能できました。
 その後下まで降りてきて警備員の方にお礼を言って別れましたが、帰りはまた歩きでしたが暑さのため半分も行かないうちダウンです。道端で座り込んでいるとその姿を見て若いお兄ちゃんが運転するオートバイが近づいてきてバス停まで送ってくれるというので、躊躇なくありがたくお受けしました。

警備員のチャムノンさんとオートバイ

 バス停にたどり着きバスを待っていましたが、1時間半待ってもバスが来ません。バス停の前にあった雑貨屋のおばちゃんにいくら待ってもバスが来ないと言ったら、休みの日は間引き運転をしているのでいつ来るのかは分からないとのことでした。
 途方に暮れていると一台の自動車が目の前で止まってくれ声をかけてくれました。この自動車は1時間以上前に目の前を通り過ぎて行きましたが用事が終わって帰るところでしたが、まだバス停のところにいる私を見て気になり、ご親切に声をかけてくださったのです。
 事情を話しウタラディットの駅に行きたい旨話をしたら、丁度そちらに行くので乗ってくださいとのことでした。地獄で仏とはまさにこのことかと思い心から感謝し同乗させていただきました。運転手はスニーさんと言ってご夫婦でウタラディットの家に帰るところで、駅までの50分間タイの話、旅行の話、子供の話など楽しく会話が弾みました。
 お陰様でウタラディットで予定していた列車に乗ることができ、次の目的地に向かうことができました。

自動車に乗せていただいたスニーさんご夫妻

(2-2)チュラポーン ダム(プーミポン前国王の第3王女) (所在地 : チャイヤプーム県 バンコクから約350km)

 まずバンコク中央駅から国鉄北線で夜行急行寝台列車に乗ってピサヌローク駅まで移動です。
 次の朝ピサヌローク駅に着いてまずはバスセンターでチュラポーン ダムの情報の収集です。
 案内係で聞きましたが係の人もよくわからず近くにいた人がとりあえずバスでロムサク(ピサヌロークから東に約80km)まで行ってそこで聞けば何か分かると思うとのことで、とりあえずロムサクまで行くことにしました。
 ロムサクに着いてバスセンターで何人にも聞きましたがよく分からず、結局最後に聞いた人 (後でわかったのですが現地の警察官でした)が言うにはさらに先のコンサーンまで行って聞けば多分わかるかもしれないとのことでした。
 またまたバスに乗りコンサーンまで行きました。コンサーンのバス停は大きな交差点にありましたが、そこにソンテオ(中型乗合自動車)がいたのでチュラポーン ダムへの行き方を聞いたら、何とそのソンテオがチュラポーン ダム行きそのものでした。早速そのソンテオに乗ってチュラポーン ダムに向かいましたが、乗客は私一人で細い山道をくねくねと30分ほどかけて走り到着です。
 終点のバス停に着いて辺りを見回してみてもダムらしきものが見えませんでしたので、ソンテオの運転手さんにダムはどこにあるのか聞いたところ、ダムはさらに15kmいったところにあるとのことでした。
 山道で歩くのには無理があったのでバイクタクシーがないか運転手さんに聞いたところ、こんな寂しい村にはそんなものはないとのことでした。
 そこでダメもとでもいいと思って乗ってきた車の運転手さんにしつっこく迫りました。するととても親切な人で携帯で友達や知っている人達何人もに電話をして一生懸命探してくれました。最後にやっとバイクを運転してくれる人を見つけてくれました。その人はペーさんと言って当地の警察官で非番で休んでいた人でした。

 地獄で仏と思い無理をお願いしてバイクに同乗させてもらいました。ダム堰堤までは30分ほどで到着しましたが、その途中でダムについていろいろ説明をされましたが、このダムは発電と農業の灌漑用として使われており、またこのダムは日本の大林組が携わったことなどをお聞きし、大変参考になりました。
 そのまま堰堤の上までバイクで走り上がり、堰堤の上からダムの素晴らしい景色を眺めることができました。
 ふと下を見るとあるはずの発電所がなかったのでどうなっているのか聞いたところ、この堰堤のところから導水管で約6km水を引いて別のところで発電しているとのことでした。
 帰りはまたバイクに乗せてもらいましたが、ソンテオの最終便の時間が迫っていたので猛スピードで運転してもらったので怖くてオートバイの後ろについているつかまり棒にしがみついていました。お蔭様で無事バス停まで戻れ、何とかソンテオの最終便に間に合い国道にあるコンサーンの町まで戻ってきました。

チュラポーン ダムの碑文 (人物は筆者)

 今回のダムへの旅で感じたことは、ダムの雄大で素晴らしい景色に大いに感動したと同時にそれ以上にタイの多くの方々に本当にお世話になり、タイ人の心のやさしさ・親切な心・他人を思う心を身に染みて感じ、ますますタイの人が好きになりました。これからもチャンスがあればタイ旅行に再チャレンジをして多くの場所を訪れると同時に、出来るだけ多くのタイの人と出会い友好を深めていきたいと思っています。

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