日タイロングステイ交流協会は、健全で安全なロングステイライフの実現を目指しています。

header_illust

日タイロングステイ交流協会

タイ東北地方旅紀行~ウボンラーチャターニーで先生との再会~

2009年03月01日(日)

タイ東北地方旅紀行~ウボンラーチャターニーで先生との再会~

 今回の旅は、日本での私のタイ語の先生、スパンニー先生にお会いしたくてウボンラーチャターニーまで行ってきました。スパンニー先生は、現在ウボンラーチャターニー・ラーチャパット大学で教鞭をとっています。まずは旅の日程です。

090301-1

旅程(2009年2月7日~9日)

2月7日(土) 18:55ホアランポーン駅発(夜行寝台列車2等)
2月8日(日) 06:10 ウボンラーチャターニー駅着、 10:00 ウボンラーチャターニー駅発 ⇒ ナコーンラーチャシーマー(バス) 17:55 ナコーンラーチャシーマー駅発 ⇒ 19:30 ブワヤイ駅着(普通列車3等)(泊)
2月9日(月) 10:25 ブワヤイ駅発⇒17:10 ホアランポーン駅着(急行列車2等)

 

ウボンラーチャターニー行き 寝台列車が珍しく定刻前に到着

 今回の旅は日曜日(2月8日)と祝日(2 月9日)〔マーカブチャー(万仏節)といって、陰暦3月の満月の日にお釈迦様の説教を聴きに1 , 250人の弟子が前触れもなしに集まったという奇跡的な出来事を祝う、仏教にとって特に神聖な日でこの日はアルコール類は一切口に出来ません〕を利用して行ってきました。

 

早朝のウボンラーチャターニー駅

早朝のウボンラーチャターニー駅

 出発は2/7(土)の 18 時 55 分ホアランポーン駅発の列車に乗るため、いつもの事ながら 17 時の終業と同時に会社を飛び出し、車と地下鉄を使って駅に向かいました。幸いなことに交通渋滞もなく 18 時 30 分には駅に到着。しっかりと夕食も取ることが出来ました。列車は定刻通りに出発しましたが、今回は冷房のない扇風機の列車です。この日は特に湿度の高い一日で、ベッドに横になっても寝苦しくてなかなか眠れませでした。とはいえ、さすがにアユタヤを通過した頃には眠ってしまったようです

 途中ナコーンラーチャシーマー(以下、コラート)、ブリーラムを通過、非常に珍しいことに、定刻より5分も早く早朝6時10 分ウボンラーチャターニー(以下、ウボン)に到着です。私も列車を使った旅を随分していますが、未だかつて定刻前に目的地に到着したという記憶はありません。先生との約束時間はいつもの遅れを見込んで7時にしていましたので 50 分も待つ羽目になりました。

 

スパンニー先生とは3年振りの再会

 今回、スパンニー先生とは3年振りの再会でした。ウボンには昨年の8月にも来たのですが、そのときはスパンニー先生が逆にバンコクに行っていてお会いできませんでした。再会できたことを喜び合い、先生も私もまだ朝食前でしたのでまずは腹ごしらえ。先生の案内で大衆レストランに行き、私が今までに食べたこともないような料理をお腹いっぱい食べました。この店はかなり有名なお店のようで、朝7時半だというのに店の前は行列ができていました。

 

まるでお城のような立派な教育センタ

まるでお城のような立派な教育センタ

教育センタ玄関前でスパンニー先生と

教育センタ玄関前でスパンニー先生と

 

 

 

 

 

 ウボンに来た目的のもう一つは、観光案内に写真が載っていた「ウボンラーチャターニー・アート&カルチャーセンター」を見学することでした。地図で見るとこのセンターはウボンの街中から少し距離があるようなので、図々しくも先生の自家用車で連れて行って欲しいとお願いしてみました。すると、なんと先生の教鞭をとっているラーチャパット大学の構内にあると言うではありませんか。それなら車中で積もる話もできるし、先生の大学も見学出来るし、丁度良いとのことで早速出発です。

 カルチャーセンターへは8時前に到着。朝早かったためまだ正門が開いていませんでしたが、裏口から入れてもらうことができました。まずは美術館の見学です。展示物は昔使われた農機具や土器、かごなどの生活用品、ウボンへの鉄道建設時( 79 年前)の写真、そしてウボンの有名な祭りと言えばローソク祭りですので、その蝋(ろう)で作った壁掛けや置物などがありました。ちなみに4階以上はホテルになっていて一般の人でも宿泊できるそうです(750バーツ/泊)。

 館内をひと通り見終わり、外に出て建物を正面から見上げてみると、この建物のすばらしさに圧倒されました。写真で見るよりずっと素晴らしい建物でした。折角のチャンスなので大学の構内、講堂や広いグラウンド、そして生徒や教授の宿舎なども見て回りましたが、総合大学の敷地は広大なものでとても見切れません。この日はまだまだ行くべきところがありましたので、名残惜しかったのですがバスターミナルまで送っていただき、スパンニー先生とお別れしました。

 

手つかずで味わい深いパノムワン遺跡

090301-5

しっかり形の残っている本殿跡

崩れ落ちたままの遺跡の石の建材

崩れ落ちたままの遺跡の石の建材

 

 

 

 

 

 その後バスターミナルから長距離バスに乗り、6時間かけてコラートに到着。予め調べておいたパノムワン遺跡に行くためバイクタクシーと値段の交渉です。350バーツと言うのを300バーツに値切って、ヘルメットをかぶり遺跡に向かいました。遺跡に着いてまず感じたのは、ピマーイ遺跡やパノムルン遺跡といった綺麗に修復された遺跡に比べて、ほとんど手を加えていない、というよりむしろ荒れ放題といったものでした。でも私にとっては、このように手を加えていないものの方がかえって興味があります。中でも正面側は、遺跡の形がかなりしっかり残っていて見応えがありました。正面入口近くの建物内には仏像が安置されていて、信者がお祈りをしていました。

 パノムワン遺跡が造られたのは 10 世紀の始め頃。出土した碑文によると最初はヒンドゥー寺院として建てらたが、後に仏教徒のための神聖な場所に造り変えられたと記されています。またこの辺りには有史以前の人骨なども多く出土しています。遺跡の西側の部分は手付かずの状態で建材の石の断片が沢山残っています。遺跡としてはあまり名が知られていないため、休日にもかかわらず人出はまばらでしたが、史跡に興味のある方は一度訪問されてはいかがでしょう。

 

ブワヤイの町中で衝撃的発見!?

 遺跡を後にして一度コラートに戻りました。ここコラートは昨年一度訪れていますが、タオ・スラナリー像は夜の顔しか見たことがありませんでしたので、この機会に昼の顔を見に立ち寄りました。いかにも引き締まった顔立ちで、その昔コラートがラオス軍による侵略を受けた際、女性ながらも勇敢に戦って町を救った英雄という雰囲気を感じ取ることが出来ました。

 この後コラート駅から鈍行列車でブアヤイ(コラートの北 35 ㎞にある町)に向かう途中、真っ赤な夕日が田んぼの向こうに沈んで行き、いかにも田舎の長閑な風景を見ることが出来ました。1時間半ほどでブワヤイに到着。駅前のサムローの運転手に聞くと、幸いにも駅のすぐ前にホテルがあったので即決めました。レストランは見当たらなかったので、セブンイレブンでパンとジュースを買って質素な夕食を済ませました。翌日はゆっくり起きて町を一回り。観光スポットはほとんどありませんでしたが、町中ですごい自動車を見つけました。トラックのエンジン部を改造して発電機用のエンジンを乗せたもの(?)こんなもので動くのかと思いましたが、良く見るとナンバープレートが付いているではありませんか。タイも田舎に行くととんでもないものが見つかります。町を一回りした後、ブワヤイ駅を 10 時 25 分発の急行列車に乗って、夕方にはバンコクに戻って来ました。

 

凛々しい姿のタオ スラナリ像(左) 手作りのトラック(これでもしっかり動きます)(右)

凛々しい姿のタオ スラナリ像(左) 手作りのトラック(これでもしっかり動きます)(右)

 

「コンテンツ提供:D-Mark Magazine」 ref.同誌第16号掲載PDF版

▲トップに戻る