東部タイ旅紀行(雨季) ~サケーオ・ナコンラーチャシーマー(コラート)~
2008年10月01日(水)
東部タイ旅紀行(雨季)
サケーオ・ナコンラーチャシーマー(コラート)
タイは雨季真っ只中の8月は東北タイで洪水騒ぎがありましたが、9月は北部タイ(チェンマイ、チェンラーイ)や中部タイ(サラブリー)、東部タイ(チョンブリー)などでも洪水がありました。そのために予定していたメーホンソーンの旅を急遽東部のサケーオ県アランヤプラテートとナコンラーチャシーマー県(コラート)に変更しました。今回は東部タイ旅行記雨季編になります。
アランヤプラテート行きの列車にて
今回のサケーオ県・アランヤプラテート(以下アランとします)へは、バンコク中央駅5時55分発の列車で行くことにしました。駅で切符を買って早速列車に乗ろうとしたら、乗降口の横に大きなラベルが貼ってある車両が何両かありました。このラベルには「タイ人を援助するため、タダで乗れる車両」と書いてありました。経験のためぜひこの車両に乗りたいと思ったのですが、車掌に「この車両はタイ人しか乗れないよ」と言われ、やむを得ず一般車両に乗り込むことにしました。

車内に居ても安心出来ません(窓から枝が)(左) はい、ポーズ!(可愛い女の子)(右)
朝早かったため列車の中では寝ていたのですが、1時間ほどしたころでしょうか、ふと目が覚めると列車は駅に止まっていました。そして、驚いたことに開いた窓から外の木の枝が車内に大きく入り込んでいるではありませんか。いかにもタイのローカル列車といった感じです。その駅で小さな女の子連れのお母さんが乗ってきて目の前の席に座りました。とてもかわいい女の子だったので少し話しかけてみたのですが、お父さんとお母さんと一緒にバンコクに住んでいて、アランにいるおじいちゃんやおばあちゃんに会いに行くとのことでした。
土砂降りの雨の中サムローをチャーター
列車は途中のチャチューンサオ駅でずいぶん長い間停車していたこともあり、2時間遅れの13時25分に到着。アランは土砂降りの雨でした。遅い昼ごはんを食べながら本日の旅の計画を考えました…今回の旅紀行の本命は「プラサート・サトッコクトム遺跡」(アランから約50㎞)に行くこと。しかし、すでに2時間遅れでバスで行っては間に合いません。意を決してサムローをチャーターして行くことにしました。チャーター代は350バーツ。土砂降りの中サムローを飛ばします。どうやらエンジンの調子が悪いようで目的地まで辿りつけるのかどうか不安でしたが、普段の仏様への信心のお陰でしょうか、何とか持ちこたえ、さらに雨も上がり太陽が出てきました。およそ1時間で遺跡に到着です。
この遺跡はカンボジア国境から僅か7㎞の所にあり、両国の帰属問題で軍隊が出る騒動にまで発展している「カオ・プラ・ウィハーン遺跡」のこともあったので、少し心配しましたがもちろん何事もなく平穏無事そのもの。ただこの遺跡は非常に分かりにくいところにあるため、もし行くのでしたらツアー会社に申し込むのが賢明と思います。アランからけっこう距離がありますが、最近ではバンコクからも観光バスで大勢の客が訪れているとのことです。ちなみに、今回乗ったアランのサムローの運転手も、この遺跡には初めて来たと言っていました。
プラサート・サトッコクトム遺跡
森の中に佇むクメール遺跡で、以前行ったことのあるパノムルン遺跡(ブリーラム県)やピマーイ遺跡(ナコンラーチャシーマー県)とよく似ていました。ちょうど修復作業をしていてそばには作業者(石工)や巨大クレーンが動いていました。石工の修復作業を少し観察してみると、新しい石を積み上げる際、風化した古い石と同じ様な感覚とするため、わざと表面をハンマーで叩いて凸凹にしていました。遺跡の本城は一際高く聳え立ち、頂部には彫刻が施されていますが、私が見る限りでは一回崩れたものを再構築したようで、模様がちぐはぐで変な感じがしました。むしろ崩れかかった塀や儀式跡と思われる場所の方が、昔の姿がそのまま残っていて歴史の重みが感じらるような気がします。

プラサート・サトッコクトム遺跡(右) 本城に続く表参道(左上) ちぐはぐな模様ですが感じは出ています(左下)
本城の裏手には1本の道が外に向かって伸びていて、その道の両側にはパノムルン遺跡にもあった灯篭のような石の作り物が並んでいました(右写真)。パノムルン遺跡ではこの灯篭のある道が本城への入り口となる参道でしたので、ここもやはりこの参道側が本城への入り口だろうと私なりに推測しました。僅か40分の見学でしたが、今回の一番の目的地を十分堪能することができました。
また先ほどのサムローに乗ってコラート行きのバス停まで行きましたが、なんと次のバスは18時とのことで1時間半以上待つ羽目に。ここはコークスーンという何もない町、ひたすらバス停でバスを待ちました。幸いなことに時間通りにバスが来て出発、そしてバスに乗った途端また激しい雨が降り始めました。
ナコンラーチャシーマー(コラート)

コラートの旧市街への入場門
バスで山道を登ること約4時間でやっとコラートに到着、すでに夜の10時半です。新バスターミナルに着いたので、コラートのホテルのある旧市街までバイクタクシーで移動です(コラートにはバスターミナルが2箇所あるので要注意です)。夜店を横に睨みながらホテル探し、「コラート一安いホテル」と書いた看板の出ていた「チュンポーンホテル」一泊350バーツにしました。とりあえず部屋で一息していると、テレビで次の日にバスで通るサラブリーが大洪水のニュースが流れてきました。遅い時間ながら旧市街に入る入り口にある「チュンポーン門」と「タオ・スラナリー像」の見学に、夜はライトアップされ美しい姿を映し出していました。

ライトアップされたスラナリ像(左) 珍しい木造のチェディー(右)
1826年にコラートがラオス軍による侵略を受けた際、人々の先頭に立ち町を救ったクン・イン・ヤーモーという女性。その勇敢な働きに対してラマ3世が送った称号が「タオ・スラナリー」です。タイの教科書にも登場する国民的英雄で、像の前にはいつも線香や花を持った多くの人が手を合わせ、敬虔な祈りを捧げている姿を見ることが出来ます。
翌日はサラブリーの洪水が心配だったので、朝7時から町の見物に出かけましたが、大きい割りに名所旧跡が少なく2時間もすればほとんど見て回れます。コラートはピマーイ遺跡やパノムルン遺跡、さらに東北タイなどに行くときの拠点として宿泊すると便利でしょう。最後にタオ・スラナリー像の近くに珍しいものを見つけました。「ワット・パーヤップ」という中国系のお寺で、そこにあるチェディー(仏塔)は一般的にある石造りの釣鐘型ではなく、木造5階建ての12角形のものでした。(右写真)
洪水が気になっていたため、早々と9時にはバスターミナルに行って道路状況を聞きましたが、バスの運行には支障がないとのことでひと安心。9時過ぎのVIPバスに乗って13時にはバンコクに戻ってきました。今回は無事回ってこられましたが、タイの雨季での旅行には目的地の洪水情報に十分注意し、危険回避をすることが必要です。
「コンテンツ提供:D-Mark Magazine」 ref.同誌第11号掲載PDF版