続バンコク便り(9月号)
2011年09月11日(日)
コンテンツ提供:会友 斎藤宏氏
(元三菱電機、現在BKK滞在)
サワディー クラップ !
日本の暑さも峠を越したようで、NHKのテレビによると少し前は東京の気温がバンコクより高かったのが、このごろ同じレベルになってきました。
秋になると日本は台風のシーズンになりますが、先日早くも大型台風が日本を直撃したため、和歌山県や奈良県の各地で山崩れや洪水で大きな被害が出ました。
こちらタイでは台風はありませんが、現在雨期の真っただ中のため(雨期は7月から11月)バンコクでは連日決まったように朝と夕方に雨が降っています。
今年は例年に比べ雨の量が多いとのことで、私の住んでいるサムロン地区ではスクミット大通りが20cm位の冠水はざらで、外出もままならない状態になります。
このごろは外出や旅行の時は、たとえ空が晴れていても傘だけは必ず持参します。
また今年は特にタイ中央部で雨が多く降り各地で大洪水が発生し、農作物や家畜に大きな被害が出ています。このため北部の下流に位置するタイ中央平野部並びにバンコクは河川の増水による深刻な洪水に見舞われる恐れがあるため、インラック新首相は政府に対して洪水対策用の排水路建設の検討を指示したといわれています。
さらにインラック首相はこの洪水で被害を受けたアユタヤ・チャイナート・アントン各県の被災者に対し、支援金(1家族5,000バーツ)を1ヶ月以内に支払うと明言しています。アピシット前首相はやることが遅いとの批判があったので、新首相は今のところ頑張っていろいろ早め早めの手を打っているように見えます。
ピサヌロークへ

フアラムポーン駅(バンコク中央駅)の線路の終端
さて次は本題の「旅紀行」の話に移ります。
今回は王族の名前の付いたダム巡り(全7ヶ所)の最終回で、「チュラポーン ダム」に行ってきましたのでその様子をお伝えします。ちなみに今までに訪れたダムは、プーミポン ダム・シリキット ダム・ワチラロンコンダム・シリントーン ダム・ウボンラット ダムそしてシーナカリン ダムの6ヶ所です。
どこのダムも山奥にあるので行くのに苦労しましたが、特にこのチュラポーン ダムは道が地図にも書いてないような辺鄙なところにあるので、とりあえず近くまで行ってみて後は地元の人に聞きながら行くことにしました。
初日はまた例のごとく金曜日に仕事が終わってから会社を出て、フアランポーン駅に向かいました。切符は予約をしていなかったのですが、最初の目的地ピサヌロークまで時間的に丁度良い夜行快速列車があったのですが寝台車が付いてなかったので、1本遅らせて夜行急行の寝台車(運良く席が3つだけ空いていました)で行くことにしました。
列車は22:00発でしたので、乗ったときにはすでにベッドメークがされていました。
下車駅のピサヌロークには予定では04:20着でしたが、列車はいつものように遅れがひどく実際には06:00に到着しました。(私にとっては丁度良い時間でしたが、)
参考までに夜行列車で寝台車に乗ったとき降りる駅が分からないことが一番心配ですが、寝台車の場合には車掌が検札の時ちゃんと席を控えていて、到着15分ぐらい前に起こしに来てくれますので安心して寝ていられます。

ピサヌローク駅前(昔使われた蒸気機関車)
ピサヌロークにはもう4回ほど来ていますので地理は大体わかっていましたので、早速駅前の市場に飛び込みいつもより早い朝食で腹ごしらえです。
その後まずはチュラポーン ダムまで行く情報を得るため、バスセンターまでバイクタクシーで移動です。早速バスセンターで案内所に行ってダムまでどういったらよいか聞きましたが、案内係の人もよく分からず困っていたところ、近くにいた人がとりあえずダムの近くの町ロムサクまで行って聞いたら分かるかもしれない、というのでまずはロムサク行のバスを探して乗り込みました。
山道を行くこと2時間半でロムサクに到着です。またバスセンターでダムへの行き方について周りの人何人かに聞いてみましたが皆分かりません。ここまで来てダムにも行かずバンコクに戻るのは何としても癪でしたので、さらにしつっこく聞いて回っていたら近くにいたご夫婦(後で分かったのですが当地の警察官でした)がとりあえずダムの近くの町コンサーンまで行って聞いたら分かるかもしれない、というのでまずはコンサーン行のバスを探して乗り込みました。そのバスでは先ほど話をした警察官の奥さんと一緒になり、1時間半の道のりでしたが話好きの人でいろいろ話が出来ました。
チュラポーン ダム見学記

EGAT(発電公社)の案内表示板(コンサーン)
コンサーンまでは国道12号線(幹線道路)で道は良かったのですが、山道のためバスは上りあり下りあり右に左に振れ乗り心地はいまいちでした。コンサーンに着いてすぐ近くにいたバイクタクシーの運ちゃんにダムへの行き方を聞いたところ、ここからダムまでソンテオ(中型乗合自動車)があるとのことでひと安心しました。
さらにすぐ横にある交差点の傍らを見たら大きな石碑(表示看板)があって、よく見ると今まで訪れた発電所にあったEGAT(発電公社)のマークと「チュラポーン ダム」の文字が書かれていたので間違いなしと確信しました。
待つこと10分でソンテオが来ました。
早速乗り込んでこれでダムまで行けると安心していましたが、着いたところは名前はチュラポーン ダム停留所ですがダムまではまだ15km以上あるとのことで、がっかりすると同時にどうしようか思案に暮れました。

ソンテオ内部(他の乗客は誰もいません)
そこは町とは名ばかりのバイクタクシーひとつない辺鄙なところでもうこれまでかと思いましたが、ダメもとで乗ってきたソンテオの運ちゃんに何とかならないかしつっこく迫りました。
運ちゃんも携帯であちこちに電話をして最後にひとりバイクで行ってくれる人を探し当ててくれました。その人は当地の警官で非番で休んでいた人でした。
申し訳ないとは思いましたが、地獄で仏と思い無理をお願いしてバイクに同乗させてもらいました。その人はぺーさんといってとても親切な人でした。
ダムまで30分くらいでしたが、道は完全舗装で幅が広く車もないためものすごいスピードで走ったので、怖くてバイクのつかまり棒にしがみついていました。途中には今まで行ったどのダムも同じでしたが、公園や研修施設さらにゴルフ場などが整備されていて、さすが王族の名前の付いたダムは素晴らしいなと思いました。
バイクは走ってそのまま堰堤の上に出ましたが、ここは発電所がダムから遠く離れて建設されていますので堰堤の上は端から端まで通ることが出来ます。ちなみに発電所はこのダムから数キロ離れたところにあって、導水管を経て水を供給し発電しているとのことでした。

チュラポーンダムの全貌(堰堤から)
ダムは主として発電と灌漑を目的として作られ、規模としては堰堤長さが700m・堰堤高さは70mと比較的小さくまたダム湖の広さとしても今まで見てきたダムと比べてかなり小さいものです。この後折角ですので堰堤を渡って対岸にある展望台に行ってみました。
そこからの眺めはダムそのものが小さいため、他の大きなダムに比べてあまり見応えはありませんでした。帰りがけにこのダムを説明した碑文があったので読んで見ると、仏歴2516(西暦1973)-6-3に日本の大林組により建設されたと書いてありました。
しばらく展望台からダムの写真を撮ったり、堰堤の上から周りの景色を撮ったりしていましたが、帰りの最終ソンテオが14時にバス停を出るというので、名残を惜しみながらダムを後にしました。
帰りもまた猛スピードで走りましたが、途中何か所か撮影ポイントでバイクを止めて写真を撮りましたが、お陰様で13:50ころバス停に着き何とか最終バスに間に合いました。バイクタクシー(実際には善意で乗せてもらったバイクです)を運転してくれたペーさんには心からのお礼として400バーツ渡しました。
ダムに行くとき雨が降っていましたが、ダムを見て回っていたときには晴れて青空も出ていましたが、帰りのバスに乗ってしばらくしたらまた雨が降り出し本当にラッキーでした。
途中は山道で何もないところを走りましたが、車に揺られること40分でコンサーンに戻って来ました。

ダムから導水管を経て発電所へ(見難くてすみません)

チュラポーン ダムの記念碑(人物は筆者)
ペチャブーンの町で
とりあえず今日の泊りはペチャブーンの町(ペチャブーン県の県庁所在地)にしようと思い、コンサーンから国道12号線を通って先ほどのロムサクまで戻り、バスを乗り換えペチャブーンに向かいました。ひたすらバスを待つ覚悟が要ります。(ちなみに時刻表はありません)
ようやく暮れかかった18時にペチャブーンのバスセンターに到着です。
早速この日泊まるホテル探しですが、バスセンターにいたバイクタクシーに一泊300バーツくらいのところと言ったら知っているというので乗せてもらいましたが、何とバスセンターと目と鼻の先200m程度のところで40バーツも取られました。でも一泊350バーツエアコン付きで部屋もまあまあでしたのでそこに決めました。
夜食事をしに外へ出ましたが、ペチャブーンは県庁所在地とはいうもののやはり田舎の町ですのでまともな食堂もほとんどなく、やっと見つけた粗末な中華料理屋で食事をしてその後ホテルに戻って寝てしまいました。
翌日はダム以外にもう一か所行きたいところがあったので、ホテルで行き方を聞きましたがよく分かりませんでした。その場所とは「カオコー」といってペチャブーンから50km位のところにあって、そこには王様の離宮(王宮)やその昔共産主義者が隠れ住んでタイ軍隊と交戦をした場所(記念碑や記念品が保存されている)さらに国立公園があって大きな滝などがあります。
とりあえずソンテオが市場の近くから出ているようだとのことで市場まで行ってみました。
市場はホテルから近いところにありソンテオの停留所がありましたが、40分待っても来ません。時間は9時半をまわったため時間的に今日はとても行けないと思い残念ながらあきらめてバンコクに戻ることに決めました。

市場の肉売り場(生肉をそのままで販売している)
バンコクに戻る高速バスの発車まで1時間程度ありましたので、すぐ横の市場をのぞいてみました。市場ではいつも驚くのですが、生肉をそのままの姿で販売していますが大丈夫なのでしょうか。(日本では考えられません。)
バンコクまで6時間のバスの旅ですので、軽い食事をしてバスターミナルに向かいました。バンコク行きのバスは高速デラックスバス(2階建て)と通常のバス(エアコン付)の 2種類がありますが前者のバスでも値段は263バーツで往きに乗った寝台列車の運賃の約1/3です。
今回のバスの旅ではとんだハプニングが2つもありました。一つは途中ノングパイの付近での死亡交通事故です。バイクと大型トラックの衝突事故で、バイクの運転手は即死でトラックは道路をふさぐように横転していました。
もう一つはバンコクのバスセンターに着く直前(約2km位)のところでバスの後輪がパンクしました。タイヤ交換に時間がかかりそうでしたが、後続の同系列会社のバスがピックアップしてくれ16:00に無事到着です。

横転したトラック(タイでは珍しくありません)

バンコク行きの高速デラックスバス