続バンコク便り(6月号)
2011年06月21日(火)
コンテンツ提供:会友 斎藤宏氏
(元三菱電機、現在BKK滞在)
サワディー クラップ !
日本は梅雨の真っ最中のことと思いますが、こちらタイでも雨期に入っていて毎日スコールが来ています。先日夕食を食べに近くのレストランに行きましたが、往きは雨がほとんど降っていなかったので安心していましたが、店に入った途端すごい雨が降り出し食事をしているほんの40分ぐらいで店の表のスクミット通りが大洪水で、歩道の上10cm位の冠水となりアパートに帰れなくなりました。
しばらく待てば水が引くと思い店のご主人とよもやま話を始めました。しかし1時間半ほど待ちましたが水は引くどころかかえって水位が上がったように見えました。
時間は21時を回ってしまったので、意を決して靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、ズボンを膝の上までたくし上げ、靴を手に持ち歩道の上まである水の中を歩き出しました。
歩道はスクミット通りに面しているため車が通るたび波が膝のすぐ下まできましたが、もうあと少しでアパートの入り口というところで1台のバスがスピードを落とさず突っ込んできたため、波の飛沫をまともに受けてしまいズボンがびしょびしょになってしまいました。
出家式に出席
さて最初の話題は「出家式」の話です。私の勤めてる会社の社長の息子さん(ウッドさん)がお坊さんになる(出家する)ことになり、出家式の招待状をいただいたのでめったに経験できないことと思い出席してきました。タイでは男子は一生に一度僧門に入るしきたりがあります。お寺での修業期間は決まってはいませんが、短い場合には3日程度、普通は一週間から20日くらいと聞いています。
貴重な経験ですので今回は僧侶になるため頭の毛を剃り落したり、長老僧による入門の説教やお寺を3回巡る儀式などすべてを見たいと思い出席しました。

この儀式の後黄色の僧衣に着替え正式の僧になります
場所はバンコクで有名な「ベンチャマポピット寺院(大理石寺院)」で式は予定では朝7時からとなっていましたが、タイ時間で始まり実際に式が始まったのは8時近くでした。
まずは両親・兄弟・親戚・知人・友人などが頭の毛をはさみで少しずつ切り落とします。丁度相撲力士の断髪式のときの感じです。
最後に先輩僧がカミソリで頭をくりくりにそり上げます。その後白い僧衣に着替え長老僧の説教を受けます。この段階ではまだ正式な僧にはなってはいません。40分くらいかけて一通りの儀式が終わります。
その後いったん外に出て記念撮影の後、出家しようとするウッドさんを先頭に出席者一同が寺院の周りを3回巡ります。これが終わるといよいよ本当の僧になるための儀式が寺院の本堂で始まります。最初は白い僧衣を着て本堂正面中央に座り、その両脇に12人ほどの僧侶が座ってまずは読経から始まりました。一通り終わるといよいよ正式の僧になるため黄色の僧衣に着替え、先輩僧から僧になるための誓いの言葉や僧になったときの注意などがあり全体で30分程度の儀式でしたが、これで一人前の僧になったことになりこれから15日間の修業に入ることになります。その後食事がふるまわれ食事が終わると「出家式」が終わりとなります。
タイの男子は一生に2度大きな祝い事があります。一つは今回のように僧門に入ること(出家式)と、もう一つは「結婚式」です。ですから一般的に出家式には結婚式と同じくらいの費用をかけると聞いています。
シリキット ダム見学記
次はタイ国内の旅紀行の話です。今回はタイ北部のウタラディット県にある「シリキット ダム」に行ってきました。ここに行った理由はタイ国内には王族の名前の付いたダムがたくさんありますが、シリキット ダム(王妃様のお名前)にはまだ行ったことがなかったことと、ここの発電所には以前私が勤めていた三菱電機製の発電機が据え付けられており、中に入れないまでも発電所の様子を目で確かめたいという思いから決めました。

早朝のウタラディット駅
金曜日に会社が終わってすぐフアラムポーング駅(バンコク中央駅)に駆けつけ、まずはウタラディットまでの寝台切符に空きがあるかどうか調べたところ運良く空きがあったので即購入しました。発車まで約1時間あったのでこの間に駅構内にある食堂で夕食をとり、水やお菓子を買って列車に乗り込みました。ところが20:10発車の予定がなぜか21:05の発車となり、ウタラディット着が途中の遅れが重なり1時間半遅れの6:15となりました。
駅についてすぐバイクタクシーに乗ってバスセンターに行きましたが、シリキット ダム行のバスは駅の近くの時計台のところから出ると のことで、また駅まで逆戻りしました。
でも運の良いことに7時発のシリキット ダム行のバスに間に合い一安心。
ところがダムのバス停に到着してから分かったのですが、バス停からダムの堰堤まで6kmもあるとのことで乗り物を探しましたが何もあり ません。やむを得ず炎天下6kmを歩くことにしました。しかし途中まで歩きましたが暑さと疲れで足が前に出なくなり、木陰で休んでいたら一台の小型トラックが止まってくれ、ダムまで乗せてもらえることになりました。10分余りでダムに着きましたが、またまた問題がありました。それはダムの入り口の警備員の小屋から堰堤上まで100m以上もの高さがあり、上がるのはとても無理とあきらめかけました。すると警備員(チャムノングさん)の方がご親切に「オートバイを貸してあげるよ」と言ってくれるではありませんか。天にも昇る気持ちでありがたく貸してもらうことにしました。

とても親切な警備員(チャムノングさん)

シリキット ダムの概要が書かれた碑(人物は筆者)
タイに来て通算13年になりますが、オートバイを自分で運転するのは初めてでしたが、無事上までたどり着けました。早速展望台に上がってダムの全望を眺めましたが、ダム湖としてはそれほど大きくはありませんが、水力発電に必要な落差はかなりあり堰堤の高さは113mもあるとのことです。展望台から下を見ると観光船が止まっているのが見えましたが、時間がなかったため残念ながら今回はパスすることにしました。

シリキット発電所の全貌(堰堤の高さが実感できますか)
展望台で遅い朝食を取って一休みした後、ダム堰堤を歩って見ることにしました。
ダムの概要が書かれた碑によると、堰堤の高さは113.6m、上の幅は12m、長さは810m、発電量は135,000kw/基×4基、オープンは1977年3月4日とのことでした。
発電所を見るためコンクリートの堰堤を歩きましたが、この日はかんかん照りで太陽の直射と照り返しで50mも行かないうちに汗でびっ しょりになりましたが、丁度雨期対策のため持ってきていた傘をさして暑さをしのぎました。
この発電所は私が34年前三菱電機にいたときタイに出張を命じられた牧野所長が、ここの発電機設置のサイト責任者として勤務していた ということがあって、感慨もひとしおでした。
右上の写真は歩き始めから200m位のところですが、最初は堰堤を渡り切ろうと思っていましたがとても無理だと思い引き返えし、またオートバイに乗って下まで降りてきました。オートバイを貸してくれた警備員の方と20分位話をしていましたが、先のある旅のことですのでお礼を言って別れました。
帰りは暑い中また6kmを歩くのかと思うと先が思いやられましたが、まずはスタートです。

巨大な発電機用タービン水車(三菱重工製)
しばらく行くと巨大な丸い物体があったので何かなと思って近寄ると、今は使われなくなった発電所のタービン水車でした。
三菱重工製で重さは44トン、直径5.23m、高さ2.23mとのことでした。
また歩き出しましたが道半ばでまたダウンです。道端で休んでいると一台のオートバイが近寄ってきて、バス停まで乗せて行ってくれるというので、これまたありがたく乗せてもらいました。
昼食をとってバス停でバスを待っていましたが1時間半待ちましたが一向にバスが来ません。
近くの店のおばちゃんにバスが一向に来ないというと、休みの日は間引き運転をしているのでいつ来るかわからないとのことでした。

とても親切なご夫婦で感謝感謝です
さあどうしようと考えていたら、1台のトラックが止まって「どこに行くの」と声をかけてくれました。ウタラディット駅に行きたいと言 ったら「そっちに行くので乗りなさい」といってくれました。今日中にウタラディットに出られるかどうか分からないと思っていたので、これまたありがたく乗せてもらうことにしました。年配のご夫婦で名前はスニーさんといいました。ウタラディットまでの50分間タイの話や旅行の話子供の話などいろいろ聞かせてもらいました。ウタラディット駅に着くと次の目的地「プレー」までまた列車の旅です。シリキット ダムでのトラブルでウタラディット駅に着くのが大幅に遅れましたが、予定していた列車にはかろうじて間に合いました。ちなみにこの列車に遅れると次の列車までは3時間以上あり、この日にプレーまでは行けません。
まずは列車で「デーンチャイ駅」まで行き、ロットソンテオ(小型乗合自動車)で40分かけてプレーまで入り、この日はここで泊りです。今回はちょっと張り込んで580バーツ/泊のホテルに泊まりました。
プレー市観光
「プレー市(プレー県)」に行こうと思ったのは、昔チェンマイにラナタイ王朝が新しい都を建設しましたが、それよりも前にここプレーに王朝を開いたと聞いていたため、一度訪れて遺跡や資料を見たかったからです。

昔の面影を残す城壁とお濠 (プレー)
朝早く起きてまずは王朝のあった時代の城壁とお濠を見に行きました。城壁は高さ5m位の土盛りのもので、プレーの旧市街の周りに築か れていて、その外側にお濠がありました。
途中で朝食にお粥(ジョーク)を屋台で食べていたら、隣にいた人が私が日本人と分かって話しかけてきました。日本に行ったことや祖父がプレーの偉い人だったとか話があった後、城壁の周りをオートバイで案内してあげると言われ、お言葉に甘えることにしました。 城壁は300m位の楕円形状に作られていて、ものの15分位で一周してしまいました。

時代を感じさせる建物(歴史博物館)
最後に彼のおじいさん?が建てたという昔の市役所(現在は歴史博物館となっています)まで案内してくれここで彼と別れました。
その後この博物館に入りじっくり資料を見て回りましたが、地理的に中国と近いこともあって中国の陶器や置物がたくさんありました。
プレーには時間的に10時までしかいられませんでしたので、駆け足でプレーで由緒あるお寺(プラバートミングムアングウォラウィハーン寺院)を訪れ旅の安全祈願をしてきました。
その後ソンテオでデーンチャイ駅まで出て、列車に乗りウタラディット駅まで戻り、1時間待ち合わせの後再び特急列車に乗りその日のうちにバンコクまで戻ってきました。

バンコク行き特急列車(スプリンター)の入線
今回の旅はバンコクから500km以上離れたところ2か所(ウタラディット県、プレー県)を2日で回るという過酷な日程に加えて、シリキット ダムという辺鄙な山奥まで足を延ばしたことにかなり無理がありました。
でも今回も多くのタイ人の親切に出会い、ますますタイが好きになりました。
トゥッコン コープクン マークマーク クラップ (本当にありがとうございました。)